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三浦一党出陣武者行列

三浦一党出陣武者行列

「三浦一党出陣武者行列」は、衣笠さくら祭の関連行事として、隔年開催で4月後半に開催されています。JR衣笠駅周辺(衣笠商店街~大明寺を往復)において、武者と音楽隊等がパレードします。鎌倉幕府創設の礎となり、衣笠の里に散った三浦大介義明公一族の偉業をしのび、悠久の時を超えて鎧姿で三浦一党出陣の勇姿を再現します。

衣笠山公園と「衣笠さくら祭」

衣笠山公園と「衣笠さくら祭」

明治40年に開園した公園で「日本さくら名所百選」にも選ばれる県内屈指の桜の名所で、ソメイヨシノやシダレザクラ、ヤマザクラなど数種類の桜が咲き誇ります。また、市内や東京湾を一望できる展望台からの眺望も魅力の一つです。衣笠山公園から谷一つ隔てた衣笠城址を経て大楠山に至るハイキングコースの東側玄関口です

大善寺

大善寺

天平元年(西暦729 年)に諸国行脚中の僧、行基が自ら彫刻した不動明王を祭り金峯蔵王権現としたことに始まるといわれ、大善寺はその別当だったと伝えられています。不動尊は、二代為継が後三年の役に出陣したとき、戦場に現れ為継を守ったと伝えられ、現在蔵王権現社も不動堂も残っていませんが、不動明王蔵は大善寺に本尊として祭られています。

咳地蔵(せきじぞう)

咳地蔵(せきじぞう)

衣笠城址登り口から左へ約100m進むと右側路傍に古石塔があります。これが咳地蔵様です。衣笠合戦の時、この辺で三浦与一近実と金子与一近範が組打となり、強力な三浦与一が金子与一を組伏せた時、三浦方の味方より「三浦与一殿は上か下か」と呼び掛けたが、風邪のため「ノド」を害していたので即座に声が出ず、あえなき最期を遂げたといわれています。このお地蔵様が咳に良く効くのは三浦与一の化身なのかも?お参りのお線香とお花が絶えたことがありません。

腹切松(腹切松公園内)

腹切松(腹切松公園内)

大矢部住宅街の中ほどに公園があり、その片隅に「大介腹切松跡」と伝えられる石碑がたっています。大介義明最期の伝説には治承4年(西暦1180 年)8 月27 日朝、大雨の中を愛馬黒雲に鞭うって城外へ出て、大矢部の清雲寺に行き先祖の墓に別れを告げ、「今は心に残るものなし」と敵のただ中へ乗り入れ力戦して傷つき大矢部の傘松の下で切腹しました。この松を腹切松といいます。今は二代目の松(樹齢約40 年)が植えられていますが、昭和10年頃は大人三人で手をつないだぐらいの太さの松(初代)で大きな枝が下にたれていました。